『人生に、上下も勝ち負けもありません」野村総一郎著(文響社)

老子の「無為自然」の考えを基に、生きていく上で最も大切な「自己肯定感」を守るための考え方・具体的な手法が詰まった本。
著者の精神科医としてうつ病患者と接した多彩な経験をバックグラウンドに心が弱っている時、ピンチに陥っている時の心の持ちようのヒントが詰まっています。
職場をはじめ人間関係の日常には「ジャッジ」「評判」が常について回り、ネットやSNSの普及で、一層自己肯定感が常に脅かされやすい環境です。自己肯定感を守り、主体性を持って自分の人生を切り拓いていくようにしたいものです。
今読むと共感・納得できることばかり。外からの「ジャッジ」を気にしすぎていた頃の昔の自分に読ませてあげたかった。

思い込みをやめる「ジャッジフリー」の考え方
人の悩みや不安の根本的な原因は、「他人と自分」という関係に悩み「いつも他人と比べてしまっている」こと。筆者は今から2500年以上昔の中国の思想家「老子」の思想を現代に当てはめてわかりやすく解きほぐして「意訳」ならぬ「医訳」をし、ゆるやかに解釈を教えてくれます。
老子は、本来世の中にある物事について、いちいち「よい、悪い」「偉い、偉くない」「すごい、すごくない」というジャッジをすること自体がおかしい。 どんな存在でも、自然のままにいれば、ただそれだけでいい、わざとらしいことをせず、自然に振る舞え、といっているのです。
人はさまざまな局面で、他人の財産、容姿、ステイタス、交友関係をチェックして、ほとんど無意識に「ジャッジを」し、優劣をつけ、勝ち負けを意識し、上に見たり、下に見たりして、喜んだり悔しがったりしています。
ストレスを生み出している原因の一つがこの「ジャッジ」。ストレスフリーを目指すなら、まず「ジャッジフリー」(筆者の造語)から始めることを提唱しています。
❶自分は弱い =劣等意識
❷自分は損をしている =被害者意識
❸自分は完璧であるべきだが難しい =完璧主義
❹自分のペースにこだわる =執着主義
「ジャッジフリー」になるため、32の思考のインストールを提唱
「ジャッジフリー」になるための思考の身につけ方が、モノや自然現象に例えられてわかりやすく解説されています。特に印象に残ったのは以下の考え方です
自分が何も残せていないと思ったら昆布の思考
「『昆布の出汁がきいてるね』と言われるようでは、まだまだなんです。昆布の存在なんて気がつかないけれど、口にした人が『なんか、すごくおいしいね』と感じてくれる。それがかっこいい仕事なのだと思います」・・・・人間どうしても虚栄心が先に立ち、アピールしたくなってしまうもの。「言ったもん勝ち」という言葉もありますし、そういう人が目立って気になることもあるでしょう。でももし、あなたが「自分は何も残せていない」と嘆いているなら、そんなことを気にする必要はありません。それよりも、事実として、あなたが日々やっていることは必ず誰かの役に立ち、回り回って誰かの人生を支えています。「ああ、自分は名もなき功績を残しているんだ」とこっそり、人知れず胸を張ればいい。 そのほうが、はるかに高貴な、いい生き方だと思います。
他人が気になったら鏡の思考
他人に勝つことよりずっと難しいのは、自分に勝つことです。自分の弱さを見つめ、自分の置かれた状況を知り、それに不満を持たない、欲を出さない。これができるのが、真の強さであると老子は説いています。
人と競いながら生きるかどうかは、自分で選べるのです。・・・日々、些細なことでもいいので「昨日できなかったことに、今日は一つでも挑戦する」。そんなトライを続けていけば、自分に勝つ感覚がだんだんわかってきて「ほんとうの強さ」も少しずつ身についていくのだと思います。
人と比べて惨めになったら銅像の思考
老子哲学のなかでも重要な概念の一つが「所詮、物事は相対的」というものです。 ・・・自分がどんな環境にいて、どんな人たちがまわりにいるかによって、評価、価値はコロコロと変わってしまうもの。「相対的に物事を見る」というのは、それくらい曖昧で、不確かなものです。だからこそ、あまり評価に一喜一憂しない。「いちいちジャッジしない」ということが大切なのです。
怒りがわいたらスプーンの思考
相手よりも大きな存在になって、相手を自分のスプーンの上にのせる。言ってみれば、手のひらの上で踊らせる、といったイメージ・・・老子が言うように、優れた戦略家ほど、無闇に怒りをぶつけたりはしません。理由はじつに簡単で、「いいことはあまりない」とよく知っているからです。
焦ってしまったらハンモックの思考
人生には「エネルギーでいっぱいの時期」もあれば「エネルギーが著しく低下してしまっている時期」もあります。・・・そういうときは「何もしていない」と焦るのではなく、「『何もしない』をしているのだ」と考えてみてください。・・・「今は、ハンモックで一休みしているだけだ」と考えてみましょう。天気のいい日にそよ風に吹かれながら、ゆらゆらと揺れるハンモックの上にいるイメージです。
人の自慢が鼻についたらナマケモノの思考
ほんとうの意味で幸せな人生を送れる人というのは、自分のペースを知っている人です。 ・・・どんな動物にも、自分のペースがあります。あなたにはあなたのペースがあって、あなたらしい生き方があります。ちょっとくらい活躍しているからといって、過剰にアピールする人にあなた自身がイライラさせられ、ストレスを抱えるなんて、それこそバカらしいと思いませんか。
結果が出せなくて辛くなったら時計の思考
時計それ自体に「達成」というものはありません。動き続けること、それ自体が目的だからです。
元 NBAのバスケットボール選手で、今や伝説となっているマイケル・ジョーダンは「ハートのすべてを注ぎ込めば、勝利するかどうかは問題ではない」と語っています。・・・自分のことが少しでも好きになれたり、自分の中で小さな成長があったりするだけでも、十分に努力する価値はあるということです。仮に結果が出なくても「努力を続けているんだから、これもなかなか立派なもんよ」と思ってみる。結果を出すことに執着する必要はない。「努力を続けている」という、それだけで十分に達成している。
認めてもらえないと思ったら太陽の思考
きっとあなたは、ただ純粋に「自分が好きな自分」として振る舞っていればいいのだと思います。「自分のがんばりは伝わらない……」と嘆くのはもう終わり。あなた自身が、あなたを毎日見つめているではないですか。
不器用な自分が嫌になったらトラックの思考
いずれあなたの能力や経験が必要とされるタイミングは必ず訪れます。内向的な人は、地味ではあっても、相手を傷つけないことで信頼を勝ち得ることができ、ゆっくり存在感を増していくもの。そのときまで、自分の考えを深め、コツコツとテクニックを身につけておけばいいのだと思います。
口がうまく、器用で、要領よく立ち回っている人ほどたいしたことはない。真に「巧みな人」は案外不器用に見える。
人を妬ましく思ったら足湯の思考
老子の別の言葉にも「敢て天下の先と為らず、故に能く器の長と成る」というものがあります。これは「人々の先頭に立たないからこそ、リーダーになりうる」というような意味です。 武田信玄や明智光秀、織田信長や豊臣秀吉など、戦乱の時代の多くの武将は激しく戦い、人の上にも立ちました。しかし結局は「待ち」の一手を貫いた徳川家康が天下を平定し、長きにわたって世の中を治めることとなりました。 ガツガツと上に登っていくのもそれはそれでありですが、人から強く信頼され、長く愛されるのは、人を温め、堂々と下にたゆたう、足湯のような存在なのかもしれません。
上の立場にいる人を見て、焦ったり、うらやんだりすることはない。ほんとうの意味で、人を安心させ、癒やしを与えているのは「上」ではなく「下」にいる人。
終わりが見えずに苦しくなったら傘の思考
もちろん傘をさしても雨はやみませんが、雨が直接当たるのを避けることはできます。「この雨だって、いつかはやむさ」と眺めていれば、例外なく、雨はやみます。絶対にやみます。そんなふうにじっと耳を澄ましていれば、自然は何かを教えてくれる。 そう老子は語っているのです。
周りがズルく見えたら毒キノコの思考
私たちは人間ですから、すぐに自分の価値観でいろんなものをジャッジしてしまいます。でも、その傾向が強くなったときは「いやいや、ジャッジしない、ジャッジしない」「すべては相対的なもの」と老子の思考を思い出してみてください。世界が少しだけ違って見えると思います。・・・「不真面目な人」「ズル賢い人」に腹を立てるのではなく、そんな人からも何かを学ぶ。キーワードは「ジャッジしない」こと。
復讐したくなったらミットの思考
考えてもみてください。その出来事は、現在の生活に直接影を落としていますか? あなたを苛立たせた相手は、今ごろ、あなたのことなど気にもしていない。それなのに、自分ばかりがどんどん苦しくなっているなんて、よけい腹が立つと思いませんか? ・・・自分を見ているのは自分自身。そう考えると、「嫌なことをされた相手に、徳をもって、優しく接する」なんて「反応」をした自分のことを、「すごい!」「立派だな」と思ってあげられるはずです。きっと、そのほうが自分が気持ちいいのではないでしょうか。
恨みを恨みで返していたら、新たなストレスが増える。もうこれ以上、嫌な気持ちを増やさないようにする。
そわそわしたら気の根っこの思考
上辺にとらわれるのではなく、もっと本質的なことを大事に生きていく。 ・・・あなたにとって「いい風」が吹いているときこそ、葉っぱのように騒ぎ立てるのではなく、根っこのように落ち着いて振る舞う。
自分の気分が高揚しているときほど、一度落ち着いて、まわりを見渡す。まとめ風に吹かれた葉っぱのようにわしゃわしゃ騒がしくしていると大事な本質を見失う。どんなときも、落ち着いて、静かにしていよう。
まわりがバカに見えたらカメレオンの思考
自然界には、カメレオン以外にも、ほかのものに様子を似せる「擬態」を使っている生き物がたくさんいます。・・・。自分の本質は変えずに、生き延びるための戦略として、使っているわけです。 現実的には、多少プライドが傷つけられることもあるでしょう。でも「こんなところで悪目立ちしても、しょうがないや ~」くらいのしたたかな気持ちで、試しにまわりに合わせてみてはどうでしょうか。
「ここはダメな場所」と場所の優劣をジャッジするのではなく、今いる場所でできることを淡々とこなしながら、真の実力は内に秘めておけばいいのです。ほんとうに実力があるのなら、いつかは必ず逆襲の機会が訪れます。今は、その時に備えて「じっくり待つ」。そのための「和光同塵」です。
がんばりすぎていたら幽霊の思考
自分の身体をいちばんに考えることが大切です。そして「どんなことに時間と労力を費やすべきか」を、どんなに忙しくても時間をとって、深く考えなければならないのです。それが大前提であり、その前提をきちんと理解している人こそが、地域や国、会社を治めるに値する人物だ、というのが老子のメッセージです。
絶望したら塩むすびの思考
結局、人生とは、その「感じ方」によって決まるもの。現実そのものではなく、「どう感じるか」が現実を作っているといっても、ある意味過言ではないでしょう。たとえば塩むすびを食べたとき「なんて質素で、味気ないおむすびなんだ……」と嘆かず、「ごはんの甘みが感じられる」「シンプルなおむすびがいちばんおいしい!」と冗談めかしながらでも、その小さな幸せを感じられる。するとその人にとって塩むすびは幸せな現実を作ってくれるものになります。
見返りがなくてむなしくなったら愛猫の思考
「見返りを求めない」「相手に期待しない」というと、なんだか急に冷たい雰囲気になりますが、もっと温かな側面に目を向けるなら、あなたが誰かのために「してあげた」ということ自体、それだけですばらしいのです。 それこそ「愛猫の思考」です。
今の会社になじめないと思ったらパンタロンの思考
考えようによっては、その「社会」というものだって「今という時代の中で、勝手に形作られた、薄っぺらなもの」かもしれません。そんな社会や常識に少しくらい適応できないからといって、それが何だと言うんでしょう。
「学がない」のが嫌になったら0点の思考
人と比べてどうこうではなく、あなたがあなたらしく、自然のままに生きること。それこそが老子の教える「豊かさ」だと私は捉えています。 他人との間に優劣をつけ、結果自分が苦しむくらいなら、「私は 0点です」と笑いながら生きているほうがいい。
挫折したら塩大福の思考
私たちの人生にも、多かれ少なかれ塩っ気があったほうが、より味わいは豊かに、おもしろくなります。 ほんとうに強い人というのは、辛い境遇にあるときでも、どんなに落ちぶれていても、自分を見失うことなく、自然のままに生きていける人です。他人を妬んだり、うらやんだりせず、自分の境遇を嘆くでも、腐るでもなく、淡々とナチュラルに生きていける。そんな人がほんとうの強さを備えているのです。 逆に言うなら、高みしか知らない人というのは、一見エネルギーがみなぎっているように見えても、その実、弱い人なのかもしれません。
思い通りにいかなかったらてるてる坊主の思考
自分なりにできうる限りの準備をしたり、精一杯の仕事をしたりすることはたしかにすばらしい。でも「完璧にやらなきゃ、完璧にやらなきゃ」と思いすぎると、自分や他人を追い詰めます。
がんばったから、結果が出る。 努力したから、夢が叶う。よかれと思ったことだから、相手に喜ばれる。そもそも世の中というのは、そんなに方程式通りには成り立っていないものです。 晴れを願って、てるてる坊主をつるしたところで、翌日に雨が降ってしまうことはあります。でも、それが自然というものでしょう。
しがみつきたくなったら麦わら帽子の思考
定年して仕事がなくなる(あるいは、年齢とともに自分のポジションが変わる)ことに苦しんでいる人の多くは「自分は勝ち続けてきた。だから、勝ち続けなければ意味がない」「仕事で活躍することこそ、輝かしい人生だ」という考え方に縛られている傾向が見受けられます。 これまた「ジャッジしている」ということです。
自分の役割というものを理解し、何かの仕事を終えたのなら、自然の流れに身を任せ、次の人に委ねていく。また、自分の目の前にある境遇を受け入れ、自然に身を任せて生きていく。 ・・・ 必要なのは、今までかぶったことのない麦わら帽子をかぶる勇気です。 今、あなたの「人生の器」が空っぽだと感じているとしても、それは別におかしなことでも、嘆かわしいことでもありません。・・・今までは忙しくてできなかったことを思いっきりやって、新しい何かでその器を埋めていくことができるのです。そうやって「新しい自分」になっていけるというのは、これまたすばらしい生き方だと私は思います。
生きる意味がわからなくなったら鯉のぼりの思考
老子に言わせれば、「生きる意味」とか「生きがい」とか、ましてや「こんなふうに生きていかなければいけない」なんてものはそもそも存在しないということです。すべては自然のなすがまま。その大きな流れに身を任せて生きていくだけ、ということです。もちろん現状、自分の人生の意味、生きがいを感じている人はそれでいいと思います。しかし、それを持っていないことを嘆く必要はまったくありません。そこにも優劣などないのです。「人生を楽しむ」ということについてもそうです。
「ちょっとしんどい」と気づいたらトイレの思考
世の中の難しいこと、大きなことというのは、いきなり難しくなったわけでも、大きくなったわけでもありません。川の源流のように、最初は一滴の水のような、小さなことから始まっています。
毎日を懸命に生きている方にとって「もしかしたら、私、しんどいかも?」という小さなシグナルに気づくこと、それに従って休むことは難しいかもしれません。それはおそらく「がんばらなきゃ」という責任感の強さ、そして「私なんてどうなってもいい」という自己肯定感の低さからきているのだと思います。